京の宿にて

武者小路實篤    


     

 こんどは九州の宮崎で友人と晝の展覧會をやった歸りである。夏はどこにゐても暑いがこの「松園」は僕の定宿であり、やっぱり京都だといふ感じがして落着く。午前中客のない時は繪を書く。別府や伊豆の大仁で泊ってもよく繪をかく。東京にゐるといろいろの仕事に追はれて繪をかくひまが少ないが、旅の宿はそれだけ悠りするのだらう。

 明治ニ年に父や母が明治天皇のお伴をして東京へ移ったが、京都は父祖の地としてやはりなつかしい。奈良の文化には朝鮮や中國の匂ひのすることがあるが、京都は純日本の感覺である。この日本的な感じはいつまでも残しておきたい。少なくともそれは旅行者にとって有難い。北海道なら北海道、温泉町なら温泉町というローカルカラーは保存しておきたい。  京都なら神社や寺に恵まれてゐて日本的な感じがしてなつかしい。昔、北野の方に泊ってゐた頃は、よく近くの平野神社にいった。赤い鳥居や玉垣の感じは京都的な味がある。

 ここの宿は八坂神社の南よりで、座敷きをあけ放って座ってゐると、夏といへども、どうやら涼しい。

 午前中は繪を書いていゐるが、午後は客とつれだって美術館へ行ったり、知ってゐる骨董屋を廻るのもたのしみのひとつである。場所がら、祇園に近く、映畫館も近いので、東京ではあまりゆかない映畫にもゆく。

  ともかく京都は年にニ、三度くるが、繪をかく時間があるだけでも、僕のいこひの場だと思ってゐる。
                                          (昭和ニ五・六・三〇)

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