酒風流譚                             


         『 夜 の 京 都 』              

                              編輯室


 夜の京都もすっかり明るくなった。京のセンター、河原町四條に立って眺めると、夜のそらをくぎって、美しいネオンが明滅する。
東山の方、鴨川へ向って、駿河屋、不二屋の菓子、スター食堂。
西の方には名譽冠の酒、高島屋、阪急電車、サロン菊水。南は公樂會館、ビクター毛糸、ひなどり。
北はスエヒロ、ニューキョート、ナガサキヤ、アストリヤなどの光彩が光ってゐる。
河原町通りも四條通りもスズラン燈が両側にともって晝(昼)のやうに明るい。
 編輯子K、漫畫子T、彌次喜多よろしく、さてどこで憩ったものかと深い深呼吸(浅い深呼吸といふのも變ですが)をする。けふは「酒」の特集號の編集會議のあととあって、やはりふらふらと酒の香にさそはれる。
      

 河原町四條の西北角の「ニューキョート」は生ビール専門、冬でもストーブをたいて一種の情緒をかもし、ビール黨(党)を喜ばせてゐるここの店は東京の「ニュートウキョウ」の姉妹店で、店の廣告などにNEW TOYKOの名が入ってゐるのはそのせゐである。あれが誤字かどうかといふことで、カケをしてビールをおごるとか、おごらすとかで、店までたしかめにきたお客もあったさうだ。
 「これからがほんとうにビールの季節です」 それはここの宣傅文句だが、ストーブのそばで汲むのも仲々いい。KもTも、一ぱいのビールでやゝ陶然となりかける。
給仕の女の人は五、六人。レヂスターの女史は仲々美しい ちらと横眼で別れをおしんで、また表へ出ると師走の寒風だ。ビールでアッペタイト(飲慾と譯して下さい)をそそられたのか、ネオンがさかんに眼につく。

  河原町四條上る二筋目、東側に「二番通」といふ新しいアーチ廣告燈が出てゐる。
この横丁は一番通りと共にいはゆる京の食堂樂街で、とんかつの「ジャワ」 粟ぜんざいの「月ヶ瀬」 甘黨の「一福」 天ぷらの「一富士」 割烹の「と一」 一品料理の「三富久」などが美味を誇ってゐるが、顔なじみの「と一」の繩のれんをくぐる。 「いらっしゃい」この主人は人がらのいいので有名、いろいろ苦勞を重ねてきたとかすっかり角のとれた圓瞞な笑顔でこのやっかいな二人を迎へてくれる。氏がかくれたインテリーであり、音樂の愛好家であることを知ってゐる人があるだらうか。
  入った所は普通の腰かけになってゐるが、奥は小座敷が三間あり、あたたかい炬燵が待ってゐる。招じられて入ると、堀炬燵につい冬の寒さも忘れる。半月料理二五〇圓。
 「と一と言ふ名はどうしたところからつけたのですか」 「將棋の駒の歩が、成って金になると、うら返って「と」になりまっしゃろ。あんな風に一旗あげて成ってやらうといふ氣持でつけたんどす。それに都一ばんの意を遇しました」「といちはいちの意味もあるんでせう?」「へゝえ、どうだっしゃろ」 寒さを忘れて閑談に時が移る。風流おでんなるものを、冬になると始めるといふ。一人前づづの鍋に煮ながらたべる。寒い時には仲々よろしい。
  さてと立上がった時には三、四本の銘酒がからになってゐた。おわさはん、おかねさん、お初さんなどといふ風流な名の仲居さんに送られて表へ出る。「あの小座敷は、アベックでくると、ちょいとゆけるな」。彌次喜多はいつの世もろくなことをささやかない。
  さて酒を愛する人種はつねに、はしご酒を以て徳となす。一人に一、二本といふ所がどうも中途半端でいけない。二人はつい若い心に誘はれて、もう一軒と、どちらからともなく提案する。三人組だと、相談がまとまらぬこともあらうが、そこは牛歳うまれの氣の合った同年の二人である。OKと立ち所に可決。

  河原町四條下る「ひなどり」ここは京都でもいちばん奮い歴史のある所で、二十年間以上同じ經営者でつづいてゐる店だ。 いま四十歳ぐらゐの京都人なら、誰も若い時には二度や三度の清遊の思ひ出がある筈。中には、もう少し艷麗な回想のある人もあらう。
  一階の入った所が、バーになってゐて、そのとなりがダンスホール、二階が社交サロン。つまりキャバレーの業態を三分して、それぞれ獨立させたものと思へばよい。飲むだけなら下のバーへ(酒が一五〇、ビールが一八〇圓に値下げ)。踊るだけならホールへ(入場料五〇圓)アベックできて一本のんで踊ってゐれば時間の制限なく五〇〇圓で樂しめるわけだ。
  二階のサロンへ見學に上る。 近頃はどこのサロンもさうだが、スペッシャルルームといふ小間式になってゐて、アトホームな感じに誘ふやうになってゐる。それにしても社交といふのはどういふ意味なのだらう。やはりお客をつれてきて、ここを社交場として睦みあへ(飲ませる、握らせる)といふことなのか。 女の子に惚れて一人通ふなんていふのはつまり邪道なんですな。それはよく存じてゐるんですが、つい遠くて近い間柄で、ミイラとりがミイラになったり。
  下のバーはマダムほか二人の若き女性の給仕で、ここもストーブを背にして、仲々居心地よいしかけになってゐる。ほどよく憩ってからホールをのぞく。お客さんは、サラリーマンや中年の紳商。若人も中年の人も本當にダンスを樂しんでゐるらしく、愉快さうだ。
  ミス・ヒナドリの北山圭子さんを呼んでもらふ。つけまつげの艷然とした白い顔。「あたし、踊るのが好きなんです。ここへ返り咲いてから一ヶ月。ホールとしちゃ小じんまりしているでせう。だから皆んな仲よし」
「獨身の方が多いですか。」「えゝ、そりゃねえ」とあっさり逃げられる。
ここのダンサー君二十五人、二階サロンにも二十數名。つまり五十人あまりの若い脂粉の匂ひがここにうづまいてゐるわけだ。 長く同じところにつづいてゐる店だけに、信用のおける點はたしかである。
  ストーブのかげでちょいとうたたねして立上がった時は少しく夜も更けた感じだった。
  一たん廻った酒の醉ひがおさまりさうなのでさらば乾盃といふ勝手な理由(飲むときには得手して何やら理由をつけたがるのが通例でつまり飲む人は善人といふ證左なのである)をつけて再び河原町を北へ。何の事はない上ったり下ったりで、それで結構たのしいのでござります。

  「サボイ」は河原町の丸善の北側の通りにある。最近に生れた新しい店だが、四條のアサヌマ(寫眞と喫茶)と同じ經営である。店のしつらへは全くフレッシュな様式で東京風なアカヌケした明るいバー。 若い女性が二、三人ゐてつれづれの話し相手になってくれる。 純バー式のつれなさでもなく、サロン式のあくどさでもなく、いはばその中間の、餘情があって上品といふのがここの雰圍氣である。ビール一本だけをとって軽く乾盃。 ちなみにサボイといふのは寄港とか港とかの意の由。港々にをみなありの心か。「酒のむによき家あり、美しきをとめありて客にすすむ」それはここの廣告文である。
  六時の刻から出發して、今や十一時半。 「醉ひてかへるによき家あり、つつましき妻ありて我を待つ」か。河原町四條を北へゆく最終の市電は十一時四十分。東へゆくのは十一時十五分。西へゆくはやはり四十五分か。 不幸にして筆者の家は北東にあり、ここで漫畫子T君と握手を交はして(日本人は醉ふと握手のくせあり)東へ圓タクを求めて歩く。 四條小橋の寶くじ賣場はとっくに店をとぢて醉客を送る夜の淑女たちが、二、三見うけられる。 先斗町を左にみて、鴨川を渡ると繩手通りだ。

  ふいと一人になった孤獨感から、どうせおそくなりついでにとて、繩手四條上ルランデンボー(ここもずゐぶん古く、昔はコーヒがおいしかった)で醉ひざましのコーヒを摂ることを思ひつく。 ふらりふらりと入ってゆくと、ここも知らぬ間に代がかわってバーのやうな喫茶店のやうな店になってゐた。 あたたかい一杯の甘味。となりでは中年の紳士がビールをきこしめしてゐる。私は手もちぶさたに、昔、ジャーナリスト馴染の美しい俊子女史と話しあふ。やはり醉ひても本性忘れず、本の話しになるとけんめいになるのだ。
  表へ出ると、寒ぞらに夜風が快い。圓タク氏は折よく宅の近くの方へ歸るとかで、ゆらりゆらりと醉にゆられながら、今宵數時間の苦業(?)を終った。
  なほ地方の讀者の便宣の爲(本誌は京都へ觀光の客を誘致すべき重大な指命をもってゐるのですぞ)このごろはいくら位の豫算でといふこともお互に(失禮)必要なので、一寸かき添へると……二人でほどほどにあの程度で、

と一 一〇〇〇圓
チップ 二〇〇圓
ニューキョート 五〇〇圓
ひなどり バー 六〇〇圓
サ  ボ  イ 二五〇圓
ランデンボー ビール
二〇〇圓


 もちろん一應はこの程度になってゐますが、酒といふものは醉ふとつい心を許して、流れるものです。 京都の夜は旅の方にとくに風あたりがよいからそこは然るべく。

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