京の呉服 京の和装小物 京の袋物 京の足袋 京の履物 京の傘
京の組紐 京の鼈甲 京の黄楊櫛 京の和楽器 京の家具 京の仏壇・仏具
京の版画 京のかるた 京の扇子 京すだれ 京畳 京人形
京焼 京漆器 京七宝 京刃物 京竹細工 京錫器
京の薫香 京のお珠数 京の表具 京の指物 京の箸 京の友禅
京の唐木細工 京の能楽書 京の織物

京の唐木細工 文人好みの洗練が
 唐木細工は中国、朝鮮から伝えられた技法である。
 用材も中国や東南アジア方面から良質のものが来るので、唐木と呼ばれる。
 この細工には、黒檀や紫檀に代表される檀木、白檀などの香木、沈香などの香木の樹脂化したものと、
 およそ三つに大別される硬材が使われる。
 唐木は硬いがもろいため、釘が使えない。そこで板や柱の継ぎ方には工夫がなされ、その手法は十数種にのぼる。
 京都の唐木細工は文人好みで洗練されている。
京の能楽書 芸術的な光景である
 江戸時代の京都で謡曲は庶民の必須の教養であった。
 そうした需要から、京都には優れた謡曲本の出版元がある。
 謡曲本は稽古をはじめたらすぐに必要なもの、息の長い隠れたベストセラーだ。
 専門店には観世流二百余曲のものなどかならず揃えておかねばならない。
 「鶴亀」「羽衣」を筆頭に江戸時代から京の版元は、何時、何の需要にもこたえ得る用意がある。
 和とじの曲ごとの薄い本が分類して、きっちり並んでいる光景は芸術的ですらある。
京の織物 西陣の心帯の心
 西陣の古い家はたいていが天明の大火で焼失の憂き目に遇っている。
 そうした西陣で現在も一筋に美しい織物を織り続ける家は多い。
 「琥珀錦」は生地の風合いを古代中国に倣ったもの。高級品になると、紋紙だけでも二万枚に及ぶ。
 その複雑な文様が一色ごとに杼(ひ)を替えて、手織り機で織り上げられる。
 典雅なその意匠は、贅沢に使われた金箔と引き立てあって、重厚な格調高い美しさを見せる。
 移り変わる流行の底に数百年を変わらぬ着物の心があるのだ。

京の指物 使うほどに味わいが
 指物とは、板材を指し合せて組み立てる木製具、たんす、箱物、長持などであるが、
 細やかなものを指物と考えることが多い。
 京指物の特徴はその大方が桐材であることであり、木取りから仕上げまで、
 分業でなく、すべて一人の職人が責任をもって製作することにある。
 そのため、木目の流れ、ふくらみの曲線、傾き具合など、素人にはわからないところに細心の注意と神経が配られる。
 結果の美しさが京指物の誇るところであり、使えば使うほどに味が出るのが身上となる。
京の箸 使用感を持たせない
 形は異なるが「古事記」にすでに箸が現れる。
 日本人の食生活に欠くことができないもの。
 赤ん坊のお喰い初めに付く箸にはその子の一生を象徴する喜びと運命的な仕来たりを感じさせる。
 まず人間は食べることが叶わなければ何事もはじまらぬ。
 日々の使用に肝心なことは、使う人に使用感を意識させぬこと、
 必要品はあってなきがごとき存在でなければならず、大切なものほどそうだ。 京箸の特徴はそこにあろう。
 千の利休が考えた箸は角の面を取り、両端を細く削って両方からつかえるようにしてある。
京の友禅(手捺染) 慶長、元禄の色彩を伝える
 手描き友禅は華麗をきわめたものであるが、手捺染(てなっせん)友禅には溜息が出るほどの細やかな美しさがある。
 作業は京都ならではの手作業。色ごとに型紙を敷いて糊を置いていく。
 一つの図柄で型紙が40枚から50枚、高級品になると100枚200枚使う。
 渋で張り合わせた和紙に型を彫っていく作業は熟練を要する。それを1分の狂いもなく生地に置いていくのである。
 堀川や賀茂川で友禅を洗う風景は昔話になったが、
 慶長、元禄の文様、色彩を伝えて、京友禅は今も変わることがない。

京の薫香
 京都の文化は御所を中心に究められ続けてきたことは薫香に於いても同じ。
 町のお香屋さんに近づくと見つけるまでにその存在がわかる。甘い香りが微風に混じって漂ってくるからだ。
 わたしどもはそれも京の匂いと感じて育った。
 香木は350種に近い種類がある。
 宗教関係のみでなく、茶道、香道に原料を配合しながら新しい香りを創りだすのはまさに芸術。
 瞬間に消えるものにこそ精魂を傾ける真剣勝負の世界だ。
京のお珠数
 薄命の歌人山川登美子は 「しら珠の珠数屋町とはいづかたぞ中京こえて人に問はまし」 と詠んだ。
 珠数屋町は下京区の東西の道で、東本願寺の別邸、枳殻邸をはさんで上と下に分かれる。
 およそお珠数といえば京都にはあらゆる宗派のものが揃っている。
 店の間には台を据えて黙々と珠を組み続ける人の姿が見える。
 それは時代や町がどう変わろうと動じる様子もない昔ながらの京のお珠数やさんの姿ではある。
京の表具
 表具は一人前になるのに長い年月を要する仕事。
 表具はデザインの良し悪しで出来栄えが大きく左右される。
 それは表装する絵、書にまで及ぶことは恐ろしい。
 そのためか京の表具屋さんは円山派などで絵の修行をした人が目立つ。
 表具はまず、肌裏打ちからはじまる。
 裏打ち用の紙を指で裂いて繊維をけばだたせ、繊維と繊維がからみつくように継ぐ。
 京は表具の発祥地、古糊を宝として保つことが命ともなる。

京刃物 刃物は打ち物、手打ちが本領
 京都は出雲の砂鉄(玉鋼)、伏見稲荷周辺の土、それと比叡山からの良質の地下水と、
 刃物にとっては、理想的な条件を揃えてをり、
 ここに、数多くの名刀や刀鍛冶の名匠が生まれた由縁ともなった。
 料理用刃物の代表、「包丁」の名はもともと中国の料理の名人の名前から出て、「料理人」そのもののことを指した。
 今日包丁と呼ばれるものには料理だけではなく洋裁用の裁ち包丁、 畳屋の畳包丁もその種類ではあるが、
 刀鍛冶のあとをつぐ京都では手で打つ「打物」を主眼とはなして精進されている。
京竹細工 如何に削るか、捨てるか
 竹製品の特徴は、その中に節が如何にうまく使われているかで、よしあしが決まる。
 したがって、捨てられる材料は実に多い。
 表現の世界ではすべて、如何にうまく削るか、捨てるかにかかっていることを思わせるものである。
 木製品のようにロクロにかけられない理由がここにある。
 竹製品の高い由縁でもあるのだ。材料となる竹は店により、自分の藪を所有するところもあるが、
 京都産以外では、島根、鳥取、和歌山のものが主として使われている。
京錫器 伝統と並び、生活用品を
 錫は化学的性質が安定しており、腐食されにくい。
 また金属の中で特にやわらかいため伸ばしやすく、箔にしやすいため器類に向いている。
 もともとは神仏具、煎茶道具、酒器として発展したものであるが、
 京都では、全国の茶道家からの注文制作に追われている。
 しかし、できるだけ多くの人々に使っていただくために、伝統的なものとともに、
 現在の生活様式にともなう新製品もつくりだしていきたいとの意欲が見られることは嬉しい。

京焼 開花は利休の時代に
 京焼は、室町末期、茶道の隆盛とともに、瀬戸焼に習った茶入などを東山山麓で焼き始めたことに始まる。
 京都では、平安時代すでに緑釉陶が見られているが、庶民は土器を使っていたに過ぎなかったという。
 色絵陶器が出て、京焼が開花するのは、やはり千利休の時代になって茶人好みのものが焼かれるようになってから。
 ところで、京焼といえば仁清、、仁清は有田などに発した上絵付けの技法によって、京焼を創始した。
 その影響を受けたのが乾山、その死後、清水では磁器を焼くようになり、以後、清水の色絵磁器が京焼の主流となった。
京漆器 手仕事が丁寧、蒔絵に優れる
 漆技術は、奈良時代、中国から伝わり京都において習練され、室町時代になり中国の技術を追い越した。
 漆器は本来、天然木が生地となる。ヒノキ、アスナロ、ケヤキが主。
 生地を充分乾かし、「布きせ」といって、生地の割れを防ぐため、木綿の布をかぶせる。
 その上に下塗り、中塗り、上塗りを経て極上漆で仕上げる。
 蒔絵や沈金はその上になされる。京漆器は手仕事が丁寧、蒔絵などに手が込んでいることを特徴としている。
 漆技術は初めは仏具や武具などに使われ、江戸時代大きく発展したのであったが
 当時は各藩で漆を強制的に栽培させたという。
京七宝 極楽の荘厳さを表現
 七宝工芸はエジプトに始まり、シルクロードを通り、中国から仏教とともに日本に伝来した。
 そもそも七宝とは、金、銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、しゃこ(貝)、瑪瑙の七つの宝石のことで、
 極楽の荘厳さを表現した仏典にある言葉。
 七宝工芸はそれらの華麗な色合いを化学的化合物である釉薬によって作り出す。
 往古の七宝で現存するのは、宇治平等院鳳凰堂の金具、桂離宮の釘隠しなど。
 それら七宝は「泥七宝」といわれた。現在の基礎ができたのは、文化年間に入ってから。
 京都の七宝は精緻を極め、外国人に人気を博した。

京すだれ 買った店で修理もする
 すだれの製作は竹の選択から始まる。最良の竹は冬と夏の寒暖の差が激しいところのものがよい。
 したがって京都のものが最高。
 竹の外皮の内側にある甘皮と肉の間の一部から、すだれの寸法の丸い竹ひごをつくる。あとは捨てる。
 製品には透明感があり、手触りがなめらかなのが京すだれの特徴。
 老舗では年数が経てば縁布を取り替えたり、修理をしてくれるので二十年、三十年の歳月を保ち続けることが出来る。
京畳 御所 社寺 茶道に鍛えられ
 畳は奈良時代後期。中国から伝来したもの。
 南北朝時代の寝殿造りでは、畳は人が座るところだけに敷かれ、身分により大きさと縁布が異なっていた。
 室町期に入り、茶道の隆盛に伴い畳は部屋いっぱいに敷き詰められるようになったが、
 京都においてはその需要の関係から、技術が高められ、
 しかも西陣の布を使うという特殊性からも、京都のものでなければという要求が多くなった。
京人形 真の人としてち
 京人形の顔は一ヶ月に数個しか出来ない。
 着物、髪、また手、足など、その一工程ごとにたいへんな神経がはらわれており、手間のかかることばかり。
 それは人形でありながら、人に寄せる感情のごときものがその工程で抱かれているから。
 たとえば表面から見えないが、腰巻、肌着、襦袢を一枚一枚重ね、決して襟元だけに見せるようなことはしない。
 市松(いちま)人形の場合は特にそうする。
 瞳を入れるのは、明け方の清らかな光りのなかで行う。

京の版画 独特の色彩
 京版画の歴史は中国に始まる。最古のものは敦煌石窟で発見された木版「「金剛般若経」の扉絵。
 日本では永承2年(1047)、京都府下浄瑠璃寺の阿弥陀仏像内から発見された。
 版画は絵師、彫師、摺師が分業、版元はその企画、進行を受け持ち、専属の絵師を持つ。
 京都の版元が使う紙は福井県の和紙、手漉き奉書、浮世絵を除いて、独特の色彩を持つ。
 寺町二条あたりの散策に落ち着いた一枚摺りなどを見出すことが出来る。
京のかるた 全工程が手づくり
 かるたと言えば百人一首だが、花札もそのうち。
 京都にキリスト教を伝え、河原町三条のカトリック教会にその名を残すフランシスコ・ザビエルが、
 キリスト教と同時に伝えた「うんすんかるた」もそのうちに入る。
 ポルトガル語の「うん(剣)」と「すん(人物)」の絵があることからつけられた名前。
 京都ではかるたの全工程を手でつくる。手づくりのかるたはまっすぐでなく、少しそっており、四隅で立つ。
 なお京かるたにおいては百人一首そのものの研鑚もよくなされている。
京の扇子 その絵にかかる値打ち
 伝統産業のほとんどが中国から伝えられた中で、扇子は日本ではじめてつくられ、中国へも伝わったもの。
 扇子の作業は細分化してすすめられる。
 昔、博物館の西側あたりは、扇骨をあつかう家が多く、その広い道には一面に扇骨が干し並べられていた。
 五条大橋西北隅に扇塚 が見えるのは、このあたりに扇子屋が多かったことを記念するもの。
 京扇子といわれる由縁は今も昔もその絵にかかる。富岡鉄斎はその第一人者であった。

京の和楽器 経験と勘の産物
 京都は平安文化に始まり、公家や貴族の趣味、趣向を充たすため優雅で格調高い工芸品を生み出して来た。
 和楽器は笛、笙などの吹きもの、琴、三味線などの弾きもの、太鼓、鼓などの打ちものの三種類に分類され、
 木、竹、皮、絹糸の自然材を使用するため、経験と勘が必要。
 西洋楽器に比較して微妙な音色やイントネーションの効果を出すのはそれら自然の材料が生かされているから。
 作業場には塵ひとつない美しい空気さえもが要求される。
京の家具 天然自然にあわせた作り物
 家具の中でも、京都では明治末期から桐白木だんすの製作が盛んになった。いわゆる京だんすの始まりである。
 桐は湿気に出会うと木目がつまり、中へ湿気が入るの防ぐ。
 乾けばもとどおりになるという性格をもっており衣類を保存するのに最適。
 また火災のときは湿気を溜めて類焼を防ぐとも聞いている。
 桐材は丸太で一年余経過させ、板にして、雨水に濡らし、また天然乾燥させ、さらに数年間、貯蔵したものを順番に使う。
 自然のプログラムに合わせた仕事といえる。
京の仏壇・仏具  各宗派の約束を守り
 京仏壇・仏具はその優秀さに加えて、各宗派の約束ごとを正しく守っているという大切な特徴をもつ。
 仏壇は貴族が競って住宅を寺院にするようになった平安期から、
 また鎌倉期に入ってからは、仏教が貴族だけのものではなくなったことにもより、
 われわれの家でも内仏が保たれる必要が考えられたことに始まる。
 仏具も当然のことながら、金属工芸や木工、漆工芸などのあらゆる工芸技術が統合され、磨かれ、
 仏教文化の中心地として、最高級のものが生産されている。

京の組紐 結んで、ほどく、紐は恋の哀しみに似て
 京都では宮廷はじめ、神社仏閣、茶道家が、古来、形の決まった紐を必要として来た。
 茶道では茶碗を収める箱にかける紐、仕覆の口を締める紐など一定の形式が色や結び方に守られている。
 良い紐は、程よい弾力を持つ。それは余分な力を入れず、糸巻きの重さに糸をまかせるようにして編む。
 紐とは便利なもの、他に道具を使わず指先だけのわずかな力で強くも柔らかくも心のままの結び方ができる。
 京都の組紐は染めの良さも見逃せない。まるいものを丸打ち、ひらたいものを平打ちという。
京の鼈甲(べっこう) 龍宮の夢のかがやき
 古きよき時代の香りをただよわせる鼈甲、それはあこがれ。
 よい鼈甲は透明度がよく、つやがあって軽い。細工には、模様を彫ったもの、黒甲の上に黒漆をほどこし、
 小さい貝をはめ込み、きらきら竜宮城の夢のように光る螺鈿(らでん)細工がある。
 京都の古い家なら引き出しの隅にでも、先祖のそのかけらがひそかにあったりするものだ。
 帯留め、櫛、かんざしには女の魂が宿る。
 白甲のもの、珊瑚の玉をつけたもの、蒔絵平打ち、今は店の手持ちにしか本物はない。
 鼈甲は亀類、特にすっぽんの甲羅。
京の黄楊櫛(つげぐし)  髪のしずくが宿るような
 京都の櫛屋さんの飾り窓に並ぶ櫛、唐櫛、三寸品川、深歯、びん櫛、六寸東(あずま)、半京。
 唐櫛はすき櫛、ふけ取りとも呼ばれ、髪を解いた時、頭皮、髪を清潔に保つために使われる、
 それぞれに日本髪の髪結いさんが今も使っている。
 黄楊は材が固く、細工に適する。
 のこぎりで引いて作った櫛の歯には、やすりがかけられ、一本一本の間を鮫皮、トクサで磨く。
 髪の毛がひっかかったりしないため。黄楊の櫛は濡らしてはならない、椿油で時には拭う。
 現在の髪型にも使いこなしたいものだ。

京の足袋 ふくよかに指のまるみに合せ
 足袋は洗濯したときは裏返して干す。それは、表を出しておくと汚れやすいから。そのとき裏をよく見てほしい。
 足袋はつま先の丸みを出す部分に、いせ込みというこまかいひだをたたみこむ。
 指の厚みと丸みに合せるためだ。そのひだがたっぷり取ってあるのが京の足袋。
 足を入れるとさらによくわかる、つま先までぴたりと納まる、履物をはいたとき、きつくて指がいたくなったりしない。
 京都では能狂言、舞踊、雲水のものとあらゆる形の注文をこなす。
京の履物 後ろ穴すげは文化文政の流行
 下駄も裏返してみるとよくわかる。
 鼻緒が後ろ歯のうしろですげてあったら京の履物、関東では後ろ歯の前ですげる。
 京風のすげかたをすると鼻緒の角度が狭くなって足が華奢に見え、
 足が下駄に深くおさまるから歩きやすくもなるという一石二鳥。
 このすげかたを後穴すげと呼び、文化文政のころの流行、その後関西一円に広がった。
 京の履物もやはり京の文化を背景にした洗練されたものといえよう。
 なお京では下駄屋とはいわず、履物屋と呼ぶ。
京の傘 京美人がほうふつとして
 いまは分業化で地方にもたのんでいるが、その姿かたちはまぎれもなく京のもの。
 まず蛇の目の姿のよしあしは骨削りの仕事のよしあしで決まる。
 傘の部分には山城、京都市西部の竹、柄には向日市の黒竹が上等。
 傘の竹は節をそろえるために、太い一本の竹から削る。
 極細のほっそりした京の蛇の目は京美人を彷彿させる。
 傘に張る和紙の色合いは紅色、むらさき、濃紺と好みというより年齢にふさわしいものが美しいであろう。
 番傘は骨が太いほどよい。

京の呉服 町家の薄暗がりに流す彩り
 呉服は呉の国の織物、呉織り(くれ・はとり)。応神天皇(4世紀末)の時代、現右京区に根拠を定めた渡来人による産物。
 呉服屋というものは、昭和の初期までふろしきに反物を包み、背中に負って得意先を回るものであった。
 大丸、高島屋、元財閥の三井も、そんな呉服屋から始まった。
 町家の内玄関の薄暗がりに流すように広げられた西陣織、友禅染の美しかった事。
 それこそ、はんなりという言葉が似合う。
 はんなりとは闇を背後に生まれる呉服ものなどの色合いではなかったろうか。
京の和装小物 誰に見しょとて色重ね
 「襟百貫」という言葉、それは着物の命はそのものより、襟などの小物にある事をいう。
 秘めてこそ恋もくれない、秘すればこそ花、
 われわれの文化には色目といってひそやかに色彩の組み合わせを楽しむ伝統があったはず、それは平安の昔から。
 着物の目利きはそこを見る。帯揚げ、帯締め、またそれら以上に「はっかけ」「胴裏」にもこるもの。
 一例に色目の感覚で「すそよけ」を二枚重ねにしたり、半襟と帯揚げを揃いにしたり、
 おしゃれとはひそかなもの、女の文化がそこに見えるのでは。
京の袋物 女前の見せどころ
 わたくしごとだが、母は着物をつくると、あんじょう、小さな切れはしを残して小袋を袋物屋(くろうと)に作らしていた。
 揃えて持ったときの女前は不思議に冴える。財布でも巾着でもいい。
 揃える、それは色目を合わす感覚の一つ。
 さて京の袋物を育てたのは、西陣の布と祗園などの花町の粋(いき)、それに南座に集まる役者さんの影響もあったろう。
 江戸前はそれはそれで、上手にいただくのもわたしたちの特技、そこには如何にも京好みの「もっさり」加減も忘れない。

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