第十回   一月の花  万両   冬の木の実はくれないがよし
第九回   十二月の花 山茶花
第八回   11月の花 石蕗(つわぶき) 
第七回   十月の花  紫式部  北山時雨のとき
第六回   九月 萩・桔梗
第五回   八月 芙蓉(ふよう)の花
第四回   入梅の六月から七月に
第三回   五月 「牡丹」
第二回   四月 「石楠花・しゃくなげ」 
第一回   三月 「桃」

  第十回  一月の花  万両   冬の木の実はくれないがよし
 万両は花というより、実が花のように愛される植物です。
  万両の実は、赤くなってから鳥にたべられさえしなければ、冬をこして春になるまでついていると植物の本に書いてありますが、わたしが見たところでは、春が過ぎて夏になり、上の小枝に白地に赤い斑を散らした小花が咲いても、まだ、落ちないでついています。
中秋を過ぎた頃、去年の実と今年の青い実が、まるで、日本舞踊に使う重ね傘のような形で見られます。
真っ赤になった実もきれいですが、立冬のころから、少しずつ染まってゆく様子は可憐です。実についている細い柄がまず赤くなり、その付け根の部分、実の上の方からだんだん色が下りてきます。下の方に青い色が残っているときは、ぼかしのように見えます。
葉はふちに波状のちぢれたようなゆるい鋸歯がある厚っぽい小葉で、雪を受けますとこぼれそうでなかなかこぼれず、気温の低い日が続きますと、赤い実は、薄い氷の膜につつまれてしまいます。
清瀬の療養所に入退院をくりかえしていた石田波郷は
満両や癒えむためより生きむため
 という句を詠んでいます。
また万両には実の色変わりが知られており、白熟するもの、黄熟するもの、橙色に熟するものとありますが、土屋文明は次ぎのように歌っていました。
萬両の白実を乞ひて植えし悔ゆ冬の木の実は紅がよし。
 やはり、冬枯れの庭や、雪の日の庭には、真っ赤に光った実の房がふさわしく思います。

  第九回  十二月の花 山茶花
 年によっては、ぼつぼつ静かな十二月の空から、思い出したように雪が舞い散ることがあります。そのような雪を風花と呼んでいます。日暮れから風花は雪となって、はげしく降りつのることもあるのですが、山茶花はそのような季節に寂しく素朴にひらく花です。
薄い五枚の花びらを平らにひらいております様子が、どうしても幸せ薄いように思えるのですが、花びらはちょっとひっついておりますだけのようで、指先を触れましただけでもはらはらとこぼれますから、咲いているという印象よりも、地面に次から次から、どうしてこうもこぼれるのかしらと思えるほど散り敷いております印象の方が鮮明です。
山茶花は白い花もいいし、紅い花も風情がありますが、庇の深く低いお座敷に一人で坐っておりまして、ふとこの花を庭に見つけましたときなど、ほっといたします。また垣根に使われております花はとりわけ可憐に思われてなりません。
わたしの家の近くにも、山茶花の垣根をめぐらした家があります。その場所はいつも通る散歩道にあたっておりますから、花が開きます季節には垣根に沿って、ゆっくり歩くことにしております。そうしていますと、
山茶花 山茶花
咲いた道
たき火だ たき火だ
落葉たき
 という童謡が自然に口ずさまれたりして、いつの間にか自分はもう一度子供に生まれ変わってきているつもりになってしまいます。道の上には幼い線の蝋石画が画かれてありまして、そこに山茶花の花びらが、点々と散っているのでした。
これは数年前のことでしたが、わが家の山茶花の根元にうずくまって、花びらを拾っておりましたら、土の表面に鈍く光るものが覗いておりました。竹べらの先で掘り返してみましたところ、直径二センチほどの大きなビー玉が出てきました。手のひらに包み込むようにして、くるくる廻ししばらく感触を楽しんでおりましたが、これはきっと昔の子供が失くしたビー玉に違いないと思えてくるのでした。それがきっと、庭が造られるとき、山茶花といっしょに運ばれて来たのにちがいありません。
人差し指と親指にはさんで、目に近づけて見ましたら、うす青い球体の中に、気泡がたくさん入っており。まるで銀河宇宙を見ているようなのでした。
ところで、山茶花は昔、九州、四国地方に自生し、色は白だけであまり人に知られることはありませんでしたが、その地方の人はカタカシと呼んで親しみ、種を取ってから油は頭髪用に、材は農具などに利用しました。現在の山茶花はそれが江戸時代に改良されたものだということです。

  第八回  十一月の花 石蕗(つわぶき)
 石蕗は冬にひらく花です。
  紅葉も散って、おおかたの草も花も枯れ果ててしまいました11月の中旬ごろ、陰暦の小春と呼ばれる時期に開きます。
  四季を通じて妙に暗いのが特色のような町なかの家の中庭が、冬ですのに明るくなってきたなあと思って見回しますと、片隅の冷たい土に石蕗の花がひらいていることがあります。
  この花は鮮やかな黄色をしています。それでいて、いずれ近い日に比叡おろしがいよいよ始まり、身もこころも凍るような底冷えがしのびよってきましても、じっと開いて耐えているという、寡黙な、芯の強さがうかがえます。
  長い柄の先に花が開きますまでには、ずいぶん時間がかかります。冬の初めに花芽をつけました柄が土に近い根元にちょっとだけのぞくのですけれども、それから、じんわりあがって来ますようすは、いかにも人々に今の間にさっさっと冬の支度をしておきなさいよといってくれているようで、わたしもその間にストーブの用意をしたり紙障子の破れをつくろったりします。信楽の大きな火鉢を出してくるのもこの時期です。
  蕪村にはこのような句があります。
咲くべくもおもはであるを石蕗(つは)の花
 ところで、この花の咲く、底冷えのきびしいころになりますと、わたしは、なんとなしに祖母からも聞いたことがあります『鉄輪』の謡(うたい)を思い出します。「通いなれたる道の末、夜も糺(ただす)の変わらぬは、思いに沈む御菩薩池(みぞろいけ)、生きるかいなき憂きの身の・・・」これがわたしの好きなくだりです。
  下京の町女房が、夫を恨んですすり泣きながら、ひたすらにいそいだ御菩薩池や、貴船のくずれた崖のくぼみには、黄色のこの花が黙って咲いていたと思えてなりません。

  第七回  十月の花 紫式部 北山時雨のときに
 紫式部は、上品でおとなしい紫の実がなることから『源氏物語』の作者、紫式部の名を借りて、そのように呼ばれるようになりました。
花はとりたてて目に立つものではありませんが、七、八月頃、葉の付け根に淡いむらさきの小さい花を控えめにのぞかせます。
花がいつの間にかおわりましたら、あとに芥子粒ほどの小さい柔らかい実ができます。さわやかな秋の日ざしに山野のもみじが照り始めますと、実が少しずつ大きくなって、やがて濃いむらさきに染まります。
そのころには、よく、北山時雨が降ります。時雨は雨といいますには、あまりに淡く、かすかになぶるように頬にふれてくるのですけれど、またすぐに明るくなりますから、濡れた実が宝石のように光ります。そのようなときは、ほんとうに、うっとりと見とれてしまうのです。
真冬になって葉が落ちつくしても実だけが枝に残りますが、こうなりますと、鳥がすぐに見つけて食べてしまいますから、雪が降りましても、折角の鮮やかな色のとりあわせを
楽しむことが出来ないのは残念です。
むらさきしきぶ最も早く実を持てど最も早く鳥の食い去る
 土屋文明はこのように詠んでおります。
実はわたしの家の裏庭にも紫式部があります。この木は、亡母の命日に毎月お参りくださる尼僧さんからいただいたものです。尼僧さんは、一乗寺の尼僧修養道場だった円光寺からおいででした。現在も詩仙堂に近い円光寺の庭にはたくさんの紫式部の実が細かい花のように輝いているはずです。
  いずれにしてもこの季節の京都のお寺の庭には、気をつければひっそりと紫式部が隠れています。探してみてください。比叡山の頂上でも山道でもわたしは見ました。
ところで、紫の色は、昔から尊い色で、ゆかりの色といわれて、この世の不思議のえにしを象徴する色であります。

  第六回  九月 萩・桔梗
 今日、左京区出町柳を通りかかって、加茂川の東岸、今出川上がる萩の寺に何気なしに目がいきました、すると、もうそうでした、萩の季節です。まだ花は見えませんでしたが、たおやかな枝が地面近くに深々と繁って、季節の到来、秋風を感じさせてくれたのでした。少し、やるせなく、さみしくもありますね。秋です。京阪電車出町柳駅前を出発する南行のバスに乗っていますと、窓から萩の寺の内部がよくよく、手に取るように見えます。
秋の野に咲ける秋萩秋風に靡ける上に秋の露置けり 【万葉集巻八・一五九七】
 萩は万葉人に最も愛された花です。集中、実に百四十二首の歌があります。梅の百十九首を抑えて首位の座を占めています。名は「生え芽(ぎ)」、古株から新芽が多く萌え出ることからその名があります。「え」が省略されたものでありましょう。もう一首を
秋風は涼しくなりぬ馬並(な)めていざ野に行かな萩の花見に 【仝 巻十・二一〇三】
 京都には高台寺、双林寺など萩の名所がたくさんありますが、京都御所の東側にある梨木神社は毎年花盛りに「萩まつり」が行われます。短冊に歌を記して萩の垂れ下がった枝に結ぶ神事です。それらは実に美しく社前を飾ります。また御所には、昔から萩が多く、「萩の里」とも呼ばれるところがあります。現在栽培されている萩は宮城野萩と白萩が一番多いのですが、宮城萩は宮城県の宮城野から出たものとはいわれていますが、京都御所に因んだものかも知れません。
 なお秋を代表する花に桔梗があります。万葉集巻八の山上憶良の秋の七草を詠んだ歌「萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝がほの花」の朝がほは桔梗というのが定説です。花言葉は「優しい愛情」「熱心」「永久不変」というところ。源氏物語で名高い寺町広小路上がる盧山寺には初秋はやくから桔梗が開きます。

  第五回  八月 芙蓉(ふよう)の花
今年はどちらものようですが、京都の真夏の暑さはまたひとしおです。芙蓉の花はそのような八月から開き初め、十月頃まで咲きつづけ、目も覚めるばかりの淡紅色や、雪のようなふわりと白い花は、厳しい暑さを忘れさせてくれます。

芙蓉の花のことを思いますと、私は川田順という歌人のことを思い出します。
このねぬる朝明(あさけ)のそらの雨ぐもり芙蓉の花に眼のさめむとす
朝庭に芙蓉の花を折りしかば吾が手に移り蟻はしるなり
順は鹿ヶ谷の法然院近くに住んでいたことがあって、二度目の夫人になった方と知り合ったのはその頃でした。その方はすでに結婚をしておられ、一人のお嬢さんもありました、お嬢さんとわたしは岡崎の裁縫教室でいっしょでしたので、お二人のことについては、お話をよく伺ったものでした。お話しの中身はほとんど忘れてしまいましたが、わたしの母も似たような事情でありましたから、お嬢さんの気持ちも何となくわかるような気がして、やがて川田夫人となられるお母さんに対する複雑な気持ちを聞いてあげることが出来たのではないかと思います。
裁縫の先生の家の表庭には、四方に広がる大きく枝の広がった高さ三メートルばかりの芙蓉の木がありました。真夏には窓から手を出しますと、つい、届くぐらいのところにまで、芙蓉の花が咲いておりました。そのころ冷房というものは何処の家にもありませんでしたが、風の筋というのでしょうか、開け放った北窓から、南の方へ風が吹き通り、窓から見える芙蓉の花が大きく揺らいでおりました。

今も芙蓉の花を見ますと、その頃が偲ばれてなりません。

その後間もなくわたしたちも結婚し、ぷっつり消息は絶えてしまいました。
先日繰っておりました『虚子自選句集』に
柔らかに虫ばむ花の芙蓉かな
夕しぼみせる芙蓉花に指ふるゝ
などがみられましたが、やるせない気持ちにさせられます。
芙蓉の花は京都なら千本釈迦堂の本堂の裏、祗園白川橋付近にもことのほか美しゅうに咲いているのが見られます。

  第四回  入梅の六月から七月に
紫陽花(アジサイ)と 定家蔓(テイカガスラ)

紫陽花のことを考えていると寺山修司を思い出します。
森駆けて来てほてりくるわが頬を埋めむとするに紫陽花暗し
紫陽花の芯まっくらにわれの頭に咲きしが母の顔となり消ゆ
アルコール漬けの胎児がけむりつつわが頭のなかに紫陽花ひらく
 寺山の作品はいつも切りたての花のようにみずみずしく美しいと思います。
昔、河原町三条上がる東側にフランス式ゴチックの美しい、カトリックの聖堂がありました。 わたしどもは河原町の天主堂といって親しんでいました。赤煉瓦のその壁にもたれるように、しっとり露をふくんだ紫陽花が咲いていました。
京都は早くにキリスト教の布教がなされた町です。 現在の京都には見られないモダンな美しい街でありました。
 定家蔓は夾竹桃科、定家蔓属の常緑蔓性の木、古木には長さ10メートル以上のものもあります。 木や岩などに這って生育するので漢名を「絡石(らくせき)」といい、また「石綱(いわつな)」の古名で万葉の昔から親しまれてきました。
花は直径二、三センチの芳香ある白花、後に黄変しますが、形が梔子に似ていますから「つるくちなし」の別名もあります。
谷狭(せば)み峯べに延(は)へる石綱の延へてしあらば年に来ずとも 【 万葉集 巻十二・三〇六七】
ところで、定家蔓はその名のごとく、藤原定家の古墳の石に生じたと伝えられる蔓ものですが、若くして逝った定家の恋人、式子内親王を傷み、彼女への 執心から定家みずからが蔓となり、彼女の墓にからみ長くは離れずにいたので、この名があるともいいます。そのことは、謡曲「定家」に式子内親王との恋物語として伝えられています。
なお、式子内親王の墓は、千本今出川東入る北川北入るにあります。 定家の 墓は嵯峨小倉山の麓、厭離庵、彼が小倉百人一首を選した山荘跡にあります。
物語通りそれらの墓に見られなくとも、嵯峨小倉山あたりを季節に散策なされば見られるはずです。

  第三回  五月 「牡丹」
牡丹の花を詠んだ短歌や俳句はたくさんありますが、俳句では高浜虚子の
白牡丹いづくの紅のうつりたる
 とか、森澄雄の
ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに
 が好きです。
蕪村にも有名な牡丹の句があります。左京区一乗寺の金福寺には蕪村のお墓があります。お墓の前にはその句が書かれた札が立っています。北白川あたりから散歩するのには程よい距離ですから、わたしはよく出かけます。そのお墓は山の際のわずかばかりの平地にあって、
牡丹散て打ち重なりぬ二三片
 の句も読めました。
ちりて後おもかげにたつぼたん哉
 の句がすぐに連想されますが、ふりかえりますと、この場所は、思いがけなくに市中を一望できるところです。ここからの眺めは、ちょうど京都を東北の隅から眺めることになります。取り立てて素晴らしいというわけではありませんが心惹かれる眺めです。
さて、京都で牡丹の花の見られるお寺は洛西の乙訓寺、お宮さんなら大原野神社ということになりましょうか。乙訓寺は歴史が古く、長岡京以前からあったお寺です。その数、百株余の花が咲き競います。大原野神社の参道には桜と楓が植えられ、春と秋には賑わいますが、初夏に咲く牡丹も見事であります。なお牡丹は中国では「花王」、「百花王」「神花」「富貴花」などと呼ばれて国を代表する花となっています。日本に渡来したのは定かではありませんが、古くには「ふかみぐさ」として現れています。

  第二回  四月 「石楠花・しゃくなげ」
 やや早いようですが、石楠花とまいりましょう。
桜はやがてに散ってしまって、市中におりますと汗ばむほどの日々になってまいります。京都の北を目指してまいりましょう。京都バスで、出町柳から約一時間、ちょっとこわいような崖っぷちを幾曲がりして山の奥まで。降ろしてもらったところは、まるで何処からも絶縁されたような谷間の行き止まりです。そこから渓流沿いに、ごろごろ石の道を歩きましょう。扁平な道ばかりでなく歩くとはそういうことです。そうしていますと、岩をくぐる清冽な水の音だけが聞こえてまいります。そこは雲ヶ畑です。
昔、わたしは祖母とよくそのあたりを歩きました。祖母は虚弱な体質であったわたしを鍛えようとしたのでした。祖母は細縞の着物の裾をからげて、そのはしをきりっと、帯締めにはさんですたすたと歩いていきました。いっしょうけんめいついて行くわたしに、「石車にのったらあきまへんえ」と注意してくれるのでしたが、小石の上に靴をのせますと、ころがるから危ないのでした。
その時、祖母が指差した渓流の向い側の斜面を見ますと、葉は枇杷に似て大きく、つつじの木より少し背の高いこんもりとした木に、紅むらさきの花が寄り添って、手まりの形になって、たくさん咲いていました。石楠花です。石楠花は古生層の岩山に多く群生している木ですが、雲ヶ畑のこのあたりは、昔、都から離れて、身を隠さねばならなかった人たちが棲んでいたところでした。隠れて暮らすには、都からの距離もほどよく、険しい自然に守られておりましたから、もってこいの場所であったと思います。
石楠(しゃくなげ)は寂しき花か谷あいの岩垣淵に影うつりつつ
石楠の花にしまらく照れる日は向うの谷に入りにけるかな

島木赤彦
  この歌は赤彦が「木曾街道より入ること六里にして氷ヶ瀬に至る」と詞書した十首のなかの二首です。じっくりと読んでいますと、子供のころに初めて出合ったときのその花の様子がまざまざと浮かんでまいります。その後も出会う機会はありましたが、乾燥を嫌って日陰を好む性格から、お寺の冷たい苔庭にも紅むらさきの花を見ましたが、よく似合っていることに感心しました。
ところで、石楠花の花言葉は「警戒心を持て」とか「危険」とかいいます。何か頷かされるものがあります。なお、この木でお箸をつくりますと、癪(しゃく)ががすぐに治りますので、癪を投げ捨てるに通じて、その名がついたとも聞いております。                            
それから、よく、わたしは石楠花の開花のことなどお尋ねしたものですが、山間の方々は、そんな者に「町のお人は虫みたいなもんや、暖(あった)こなったら出てきはる」といわれたものです。全くそのとおり、しかしながら遠方からお越しのお方には無理もないこと、町では暖こ過ぎるようになる頃を見計らって、お出かけになるといいと思います。

  第一回  三月 「桃」
 桃の花のふっくらとふくらんでいる様子は、首筋や小耳のあたりに産毛の生えた、ういういしい女の子という感じがします。温かくなって、急に赤いおべべを着せてもらって出てきたものの、何となく野暮ったくはにかんでいるようすです。
雛祭る都はずれや桃の月     蕪村
 桃の節句の頃になりますと、思い出す一人の女の子があります。名前は桃子です。母の縁続きで歳は同じくらいでしたので、桃ちゃん桃ちゃんといって、仲良く遊んでいました。
本当に名前のとおりにかわいい桃ちゃんでしたから、わたしは桃子という名前をつけてもらったから、こんなにかわいい子になったのだと、本気でひがんでいました。
母方の祖父の法事の帰り道のことでした。母方の祖母は祖父の死後、五百年の老舗を女手一つで切り回している人でしたが桃ちゃんやら、わたし達子供を三条京極角に今もある「さくら井屋」という小間物屋さんにつれていって、「今日はおじいさんの法事やさかい、お供養に何でも好きなもん買うたげます」といってくれましたので、わたしは誰よりも早く、絹地のドレスをまとった大きな西洋人形を指さしました。桃ちゃんはと思ってふりむくと、桃ちゃんは店の入り口に立って、にこにこほほ笑んでいるだけでした。わたしは子供ながらにわかに恥ずかしくなったことを覚えています。
ほんによく晴れた朝だ
桃子は 窓をあけて首を出し
桃ちゃんいい子 いい子うよ
桃ちゃんいい子 いい子うよって
歌ってる

 これは八木重吉の「朝」という詩です。わたしの知っている桃ちゃんと関係ありませんが、桃ちゃんを思うと自然につながる詩です。

 桃の花はわざわざ見に出かけるような花とは受け取られてないかも知れませんが、出かけるとするなら、洛中なら御所、洛北なら鷹ヶ峰、また西山方面もいいと思います。
ブルーの空をバックに咲いている桃の花を眺めていますと、春を満面に受けるような気がいたします。三月も遅いほうがよいと思いますが。


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