月刊京都とは


日本の故郷としての京都の観光と美術の随筆誌として本誌は生まれました。
京都に生れ京都を愛するひと、京都に学んだ方、京都に旅して京都を慕ふ方々の御愛読を願ってやみません。


この言葉は月刊京都創刊号の編集後記巻頭の言葉です。

創刊当時は随筆誌であったものの、ここに書かれた編集の志は今にも生かされています。

京都を慕い、京都を愛する全ての方々のための大人マガジン、
それが『月刊京都』です。

創刊号より

No.1 昭和25年創刊号

表紙:舞妓(勝田哲) / 特集:観光と美術 / 価格:60円

No.2
昭和25年9月号

No.3
昭和25年10月号

No.111
昭和35年3月号

No.233
昭和45年8月号

No.342
昭和55年1月号

No.463
平成2年2月号

創刊号目次

『京都』創刊号は、A5判88ページ、頒価60円であった。

この号の執筆者は、巻頭言に『八月のことば』として京都大学の 猪熊兼繁教授が<夏は暑いものである。 この暑い夏のなかでも、とりわけ京の夏は暑い。…>と京都の夏の風物詩が記されている。

次に『洛中点描』吉井勇が<夏ちかき京のつむじに往き逢ひし祇園 老妓のものの言ひよう>と多佳女のことなどを詠んでいる。
『京の宿にて』武者小路実篤は、<「松園」は僕の定宿であり>と記しているが、そのとおり、昭和18年当時に祇園下河原の「松園」に 梅原龍三郎画伯とともによく泊まっていた。 柴田若女将がお気に入りでよくカボチャなどの野菜の画を描いていたのを思い出す。後援者の河原町荒神口で歯科医をしていた柏井郁三郎氏がよく訪ねて来ていた。
筆者も中学一年生の時に「松園」へよく遊びに行き、梅原画伯からよく「ボン描いてやろうか」といわれ「いらんわ」とこたえ、惜しいことをしたと思っている。

そのほか『京の肌』高岡智照尼、『陶器放談』清水六兵衛(先代)、『夏 の茶の湯』井口海仙,『茶庭めぐり』重森三玲、『京ことば』新村出等々懐かしい名前が見受けられる。
座談会も開かれ『京のよもやま話』として富本憲吉、花柳章太郎、市川紅梅が出席しており、芝居の内輪話が面白い。
この『京都』創刊号の編集中に国宝金閣寺が焼失し、口惜しい限りと編集後記に書かれているが、50年後の金閣寺が燦然と輝いていて今も多くの観光客が参詣していることを、タイムトンネルがあれば知らせてあげたい。

京の宿にて

武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)

1885~1976 小説家で戯曲家。
東京帝大中退。 志賀直哉らと『白樺』をつくる。
空想社会思想の「新しき村」を終生支持する楽天家。
若者がよく読んだ『友情』のほか『真理先生』『馬鹿一』 など思想小説を書く。
野菜等の画を誰にでも描いてやり画商が嘆いていた。


 こんどは九州の宮崎で友人と晝の展覧會をやった歸りである。夏はどこにゐても暑いがこの「松園」は僕の定宿であり、やっぱり京都だといふ感じがして落着く。午前中客のない時は繪を書く。別府や伊豆の大仁で泊ってもよく繪をかく。東京にゐるといろいろの仕事に追はれて繪をかくひまが少ないが、旅の宿はそれだけ悠りするのだらう。

 明治ニ年に父や母が明治天皇のお伴をして東京へ移ったが、京都は父祖の地としてやはりなつかしい。奈良の文化には朝鮮や中國の匂ひのすることがあるが、京都は純日本の感覺である。この日本的な感じはいつまでも残しておきたい。少なくともそれは旅行者にとって有難い。北海道なら北海道、温泉町なら温泉町というローカルカラーは保存しておきたい。  京都なら神社や寺に恵まれてゐて日本的な感じがしてなつかしい。昔、北野の方に泊ってゐた頃は、よく近くの平野神社にいった。赤い鳥居や玉垣の感じは京都的な味がある。

 ここの宿は八坂神社の南よりで、座敷きをあけ放って座ってゐると、夏といへども、どうやら涼しい。

 午前中は繪を書いていゐるが、午後は客とつれだって美術館へ行ったり、知ってゐる骨董屋を廻るのもたのしみのひとつである。場所がら、祇園に近く、映畫館も近いので、東京ではあまりゆかない映畫にもゆく。

 ともかく京都は年にニ、三度くるが、繪をかく時間があるだけでも、僕のいこひの場だと思ってゐる。

(昭和ニ五・六・三〇)

京洛点描

京洛点描

吉井勇(よしいいさむ)

1886~1960 歌人で小説家。
早稲田大学中退。 処女歌集の『酒ほがひ』は当時の若者に大受け、これにより 歌壇の地位が確立された。
人生の大半を京都で過ごし、特に祇園を愛した吉井が詠んだ 『かにかくに・・・』の歌碑は、祇園新橋のお茶屋「大友」 の跡地に立っており毎年記念の集いが行われる。


京住みのゆゑにかあらむ回顧癖(くわいこへき)つのりて ゆくをあはれとも見つ
紫陽花忌(あぢさゐき)とは多佳女忌(たかぢょき)のことなるか あはれあはれと思ひ目つぶる
今日もまたわれは通りぬそのむかし 狩野元信(かのうもとのぶ)すみけるところ
夏ちかき京の逵(つむじ)に往き逢ひし 祇園老妓(ぎおんらうぎ)のものの言ひやう
わが留守に粽(ちまき)の壽司(すし)が届きゐぬ 京のひと日はかくておもしろ
拗ねものの無腸翁(むちゃうおきな)のざれ書きの文字を 愛でつつ京住みぞする
出雲路の旅にて得たるぼて茶碗見つつしあれば慵(もの)うからむか
去年食(こぞは)みし豆飯の味おもひつつ 八幡法師(やはたはふし)に消息をする
夕ぐれまでに片附けものをする妹(いも)の うしろ姿も梅雨曇(つゆぐも)りして
世を去りし祇園蘇小(ぎおんそせ)のいくたりを 思ひ出しぬ夜半の寝覺めに

50年前の人気コーナーより

ハローくんのスタジオ探訪

ハローくんこと北村ただし氏(漫画家)が“東横”、“大映”、“松竹太秦”の映画スタジオを訪ね歩き、時代劇の大スター市川右太右衛門にインタビューを挑みます。阪東壽三郎や山田五十鈴、水戸光子に宇野重吉も登場し、当時の撮影所の様子が楽しくレポートされています。

ハローくんのダンスホール探訪

“グランドホー”に“美松ダンスホール”。
50年前には社交ダンスブームが訪れ、市内の各地にはダンスホールがたくさんありました。
内気でフェミニストのハローくんと、初代編集長の臼井氏が緊張しながら華やかなダンスホールを見学したコーナー。

夜の京都

「河原町四条に立って眺めると、夜の空をくぎって美しいネオンが明滅する。
鴨川に向かって、不二屋の菓子、スター食堂。 西の方には名誉冠の酒、高島屋、サロン菊水。 南は公楽会館、ひなどり。北はスエヒロ、アストリアなどの光彩が光っている…(本文抜粋)」
当時の編集室スタッフがおすすめの“夜の京都”をご紹介していたコーナー。

お知らせ

2024.01.12

2024年2月号のP68【京都ふしぎの玉手箱】にて、掲載内容に誤りがありましたのでお知らせいたします。

2023.11.13

月刊京都12月号14・15頁で掲載の「山口西店」は、発刊後、お店の都合により休業になっております。

2023.08.01

白川書院オンラインショップは2023年8月11日(金)~8月16日(水)まで営業をお休みいたします。※商品のご注文はご利用可能です。 商品の発送につきましては8月17日(木)から再開いたします。

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